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2008年08月31日

主婦業に徹する

朝起きる。夫の気づかぬようにそっと。
昨晩の皿を洗う。
朝食の支度をする。そしてまた皿を片付ける。

今日は調子が優れない。
夫を送り出した後、アカシジア時の薬を飲んで横になる。
30分ほどうとうとすると、ハッと気がつきエプロンを結ぶ。

黙々と掃除をする。
洗濯物を一枚一枚丁寧にたたむ。
そして一人坦々とアイロンをかける。

主婦業はこつこつと忍耐の要る仕事だ。
終わりなく繰り返される日常の、実に地味な労働。
しかしこの労働は、私に生きている証を与えてくれる。
最近になってようやく主婦を一つの職業だと思えるようになった。

この国の主婦の社会的地位は低過ぎはしないか。
人間の根源的な営みを繰り返す、不可欠の労働。
日本の高度経済成長を支えたのも妻たちではなかったか。
男たちを送り出し、縁の下の力持ちに徹した主婦たち。
私も今同じ役割を担っている、と思っている。

名刺など肩書きはないけれど。

それにしても、統合失調症抱えながらやるのは
なかなかキツイね。

画像-0028

ある日のお弁当↑
ひじき入り和風ハンバーグ、かぼちゃの煮付
こんにゃくとキノコのピリ辛炒め、他。

posted by 野々花 at 16:47 | Comment(2) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年08月30日

家庭を築くこと

夫と二人暮らし。
この病気の告知を受けて
私たちは子供を望むことを諦めた。
ふたりで小さな幸せな家庭を作ってゆけばいいと決めた。
私たちは古典的な夫婦だ。夫を支えるのが今の私の仕事。

家庭の雰囲気を作るのは概して妻だと思う。
妻が病気でうなっていては家庭も荒れる。
だから、朝は元気に「おはよう」。
そして夫が帰る晩方にも、笑顔で「おかえり」。
それができるように、昼間の過ごし方を考える。
夫は私が病気であることをしばしば忘れるという。
家庭を明るくしたい気持ちと努力の賜物だと思う。

誰だって大切な人の病む姿を見たくないじゃないか。
だから昼は倒れていても、朝と晩には本物の笑顔を見せるんだ。

posted by 野々花 at 18:11 | Comment(2) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年08月29日

この病気の本質

そもそも、統合失調症とは何か?

激しい幻覚、妄想があるならともかく、 ネットや一般向け解説本を読んでも、いっこうにその本質がつかめない。

先の入院中に、主治医がこんな話をしてくれた。

まず、統合失調症は症候群であること。
次に、「うつ」イコールうつ病ではないこと。
抑うつ状態は、頭痛、腹痛のように様々な病気の一症状でありうる。ただし、うつ病的な「うつ」と統合失調症に近い「うつ」など、傾向は複数あるらしい。

そして、この病気の本質である不安。
うつ病の不安はどちらかといえば心配に近い不安。
統合失調症は恐怖に近い不安。
統合失調症の場合、漠然とした恐怖から緊張や警戒心を生む。不穏とでも言おうか。
その恐怖の対象が、時にあからさまな幻覚や妄想へ発展する。

素人の私に今わかっているのはこの程度です。
どなたか補足していただけると助かります。

posted by 野々花 at 17:14 | Comment(4) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年08月28日

統合失調症の文献紹介

「調子はいかがですか。」

医師にそう尋ねられ、上手く答えられないことがあった。

抑うつ状態が前面に出ていた時期は、自分の症状を極めて客観的に理解し伝えることができていた。だからこの質問に首をかしげる自分にひどく腹が立ったのだ。

「科学のことばで、この病気のことを知りたいのです」

その医師が文献を紹介してくれた。

中安信夫『初期分裂病』、岩崎学術出版社、2004年

自分の病状を客観的に表現する言葉が見つかる一冊。
さらに、私が書店で見つけた興味深い文献を紹介。

丹羽真一『統合失調症の認知機能ハンドブック―生活機能の改善のために―』、南江堂、2004年

これは訳書ですが、各章の末尾に参考文献がついており、さらに調べることも可能です。

私はどちらも紀伊国屋で入手。専門外の人間でも読めます。
みなさんも是非いちど手にとってみてください。

posted by 野々花 at 18:22 | Comment(3) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年08月27日

垣根をひとつ越えた

ここ二ヶ月、薬の調整のため入院していた。

仕事の依頼はもちろん断り
文献など研究に関するものは医師により禁止。

そんな入院生活の長い時間を埋めようと、何かすることを探した。
趣味、好きなもの、病院内でできること。
編み物、裁縫、ペン習字、ガーデニングの本、ファッション誌。
やっとかき集めたのはこのくらい。
縫い物は意外と面白く、小物をいろいろ作った。
物を作るのが好きらしい。
本題はこのあと。

恥ずかしながら、気づいてしまったのだ。
これまで作業療法やデイケアで
周囲が陶芸やビーズ細工などをしているのをみて
「いい大人が何をやっているんだ」
と無意識に軽蔑していたことを。
レベルが低いとでも思っていたのだろう、きっと。

違う。あれは訓練だ。意味のある訓練だ。
私自身、難しいことを考えられなくなって、
今、ただ布に針をチクチク刺す。

名づけて“MY OT”

弱いアカシジア時にも、効果があることが解った。

「何作ってるんですか」
「針刺しです」

ただ何も考えることなしに単純な作業をして
素朴な会話がポツリと生まれる。

ただ、チクチク縫うのだ。どこまでも、どこまでも。
それは人間がずっと行ってきた、生きる行為そのもの。
そんな日常の素朴に気がつかずにきた自分が少し悲しい。

闘病と研究に明け暮れたこれまで。
専業主婦になって、これでよいのかといまだ悩み続ける。

もう難しい文献や楽譜を読めなくても
これが私なのだといえるものが、
いつかすぐそばに見つかるといい。

posted by 野々花 at 17:33 | Comment(2) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年08月26日

制約と自由

どちらが難しい?
自由であることと制約に縛られて生きること。


精神障害者2級。生活の制約は大きい。
そしてあげつらうのも容易い。あれもできない。これも、それも。

けれど、発想を変えてみたらどうだろう。
私は手も足も使える。目も耳も鼻もある。
それでできることを挙げていったら日が暮れるんじゃないか?
人間の自由さ加減に気がついて立ち往生するかもしれない。

広大な野原に一人。
どちらに行こうかと迷うほど、自由の野原に一人。

想像力と創造力。

それが試されている。統合失調症と共に歩むために。

posted by 野々花 at 20:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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見切り発車

どんな高みに達しても
それをさらりと捨てることはできるか?

あるオリンピック選手がいた。金メダルを取った後
「スポーツが人生のすべてではないから」
といって医学の道を歩んだ人。

自分の築いた技術や知識、経験を捨てて
裸で別の世界に飛び込むなんてできるのか。

これから何を始める?
私の総合能力が試される。
自分の限界を超えられるのか。
ゼロから何を生み出せるだろう。

統合失調症。あまりにも失うものが多い。
いや、今は強がりを言ってみるか。
研究も翻訳もバイバイだ。
これだけ土台を築いてきたじゃないか。
新しい人生を開拓してみせるよ。そして頂点を目指す。
まだ何か可能性は残されているはずだから。

posted by 野々花 at 10:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年08月25日

年金で暮らすということ

障害年金。

この生活が年金で成り立っているならば
同じだけの収入を将来も見込めないならば

「将来」という輝かしいことばを捨てて
年金生活に徹しなくてはならないだろう。

将来を夢見て中途半端な階段を上ったら
すべてが泡になる。
生活も、病気の回復も。

けれど30歳は苦悩する。
まだ若い。
将来ということばを捨ててしまいたくないと
心のどこかで泣いている。

生きるのは楽じゃない。

posted by 野々花 at 12:03 | Comment(1) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年08月24日

新たな目標

おととい退院した。
統合失調症の治療薬の調整がうまくいったらしい。

「失ったものもあるけれど、この病気になったからこそできることもあります。 あなたは人を勇気づける存在になれる人です」
看護師さんがこう言ってくれた。

失ったものたくさん。
諦めたものたくさん。

それでも人を勇気づける力になれるなら
それでいい。いや、それがいい。
どのような形になるかは未知。
生きる人の感銘を与えられる人間になりたい。
今は人一人の心を動かす力さえないけれど。

だから、私よ、大きくなれ。
大きな人間になれ。

posted by 野々花 at 19:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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今をありがとう

小康状態。

ただ静かに在れますように。

祈る言葉―ありがとう。

平穏が続きますように。

安らかに
あなたと二人並んで
この人生の散歩道を行く。
ただ在るだけでいい。
野の花のように。

もう嵐はいらない。

posted by 野々花 at 11:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年08月23日

故郷

ピアノが弾けた。

電子ピアノと一緒に処分したはずの
音楽という私の宝。

過去を掘り返すこの作業は
喜びの後に痛みが走った。

エビリファイ15mg。
機能が回復してゆく。幻聴はない。

でも。
なぜか泣ける。心が痛い。

どうして手離したものをもう一度手繰り寄せるのだろう。

そこに故郷があるからか。
どんなに前だけをみて歩いても人は故郷に帰ってゆくのか。
心が自分の原点を求めて止まない。

この後、

離人感と自生内言、考想化声に襲われた。

posted by 野々花 at 17:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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笑顔、笑顔。

人に会うとよく笑うようになりました。
心に激しい雨が降っていた頃を思うと考えられません。

単に楽しくて笑うというよりも、人と対面していることの喜びや
自分と居て明るい気持ちになってくれたらという思いがあって
自然に笑みがこぼれます。

この病気をしてから一層、笑顔が増えました。

不思議なもので、かつては自分にとらわれ、病み、苦しみを訴えるばかりの日々は、自分が世界の中心で、人に笑みいっぱいの太陽をあげようなどとは思いませんでした。物事に対しても姿勢は一緒で、強烈な自分の視点がありました。

自己形成とそこに基づいた自分たるものをもつことは一見大事。
けれど、もし「自分」というものから解き放たれ、自由になれたら、苦しみも、病気も、他人も、自分も皆、世界の等しい要素になるのではないかと思うのです。

私は笑顔の人でありたい。

そして野の花のように、ただそこに在りたいです。

posted by 野々花 at 10:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年08月22日

欠くことのできないもの

私が無意識に求め
振り切っても、振り切っても
ついてくるもの。
私にとってそれは学問であるらしい。


お庭を造ろう、お料理をがんばろう。
あるいは何もなくていい。主婦業だけでいい。
そう思って、統合失調症の悪化につながるすべてをやめようとした。

病気と研究。

どちらも取れば、病気は「抱えてゆくもの」になってしまう。家庭まで壊して。それでも止むことのない欲求は「しかたがない」の一言で片付けられるだろうか。研究など細々と続ればいい、そんな単純なことじゃない。

溢れてくるんだ。

何年こうして悩むことになるのだろう。

posted by 野々花 at 19:13 | Comment(2) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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ケガの功名

思いがけない機会に、抑うつ状態を患った経験が活きました。
過労のため健康な夫がうつ病に倒れたときです。

一昨年前のことでした。

些細な言動の中に、私はかなり早い段階で夫がよくうつ状態にあることに気がつきました。
病院を探し、休職や復帰の決断の際に、自分のうつの経験が多いに役に立ちました。

普段の夫の姿ががらりと変わり

「死んでしまいたい」

などと言うようになっても驚きうろたえることもなく、どんな行動も

「ああ、私もそうだったな」

と受け止め、今どんなサポートが必要なのかを冷静に判断することができました。

長いうつとの闘いに、ありとあらゆる地獄をみてきたから。

たぶん生まれて初めて、人を支える経験をしたように思います。
これまでは周囲に支えられてやっと生きてきた私が、夫に寄り添い、包み、安心を与えること。

自らの苦しい経験がいつしか生きる強い力になっていたことに気がついた一件でした。

posted by 野々花 at 15:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年08月17日

頭の中の不自由

文字を読む、情報を受け取る、考えるといった知覚や思考の機能に障害が出るとき、いかに自分が不自由であるかをより強く感じます。

統合失調症についていえば、
自由には、身体の自由と精神の自由がある。
私にとって「頭の中の不自由」はより大きな問題になる。

行動範囲が狭められたり
体が動かず家に閉じこもっていることより

無限に広がる知の地平を自由に歩くことができない時が
一番苦しい。

posted by 野々花 at 16:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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未練

いまだにくすぶっている。
すべて学問をやめてしまうことに。

確かに、それがむずかしいことは頭でも体でも分かっている。

でも、勉強がしたい。

その欲求がとどまることなく溢れてきます。

私は認知機能障害の中でも、特に情報処理機能障害に問題があるようです。一度に平均の数倍の情報量をインプットするらしいのですが、その処理過程がうまくいかず効率的なアウトプットにつながらないそうです。

論文執筆作業など、短時間のあいだに脳のCPU稼働率が極端に上がる仕事をすれば、当然頭に負担がかかってしまい、病気の悪化を引き起こす原因になる。それは分かっているのです。

私が学問を続ければ、家庭を優先順位一番にするという夫との約束も破ってしまう。
周囲の誰も望んでいないことも知っています。

けれど、心のどこかでまだ未練があるのです。

ゆるぎない自分を造ってきたのは学問でした。

それを本当の意味で放棄し、まったく別の新しい生き方をできるようになるまでに、いったい何年かかるだろう。

posted by 野々花 at 12:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年08月16日

自ら命を絶つことについて

「ずるいですよね、自殺するなんて」

辛い現実から目をそらし、自ら死に逃れることを、このように言った人がいた。

ずるい、か―

それは一つの見方として、可能な意見かもしれない。
けれど私ならそうは言わない。

確かに、追い詰められ、逃げることも克服することもできずに
死を選んだ原因は、結局その人の心のもろさかもしれない。

精神を患った人であれ、そうでなかろうと。

でも、そんな「弱い人間」を断罪するような高みに私は居たくない。

「ずるい」といったその人は、きっと多くの困難を乗り越えて、強靭な精神を培ったのだろう 。

それならば尚のこと、未熟でもろい心の人に手を差し伸べることを、まず先にできるといい。

強い人間が弱い者を批判することはたやすいのだから。

自ら命を絶とうとした経験は、私にもあります。
今は生かされていることに、祈るほど感謝をしています。

大切な家族のために、自分の命はなくてはならないもの。
そう思えるようになるまでに、どれほどの月日を費やしただろう。

posted by 野々花 at 09:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年08月15日

前しか見ない

過去を思い出すのが苦手だった。
思い出す作業は、同じ苦しみを二度体験することだから。
「あのときはこうだったね」
こんなセリフは、今でもあまり使わない。

ひたすら前へ進む。
前へ、前へ。
振り返ることなく。

そして

笑うことは大きな原動力になると知った。
私と家族を幸せにする大きな力になると。

今もまた前を向いて笑っている。
生きるために。

posted by 野々花 at 18:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年08月14日

看板の裏側

10年前の話。

バスの中から、若いタレントの写った大きな看板が目に入った。
おしゃれなファッションにピカピカの笑顔。
これが世の中の現実ではなく
美しく飾り立てられた看板の裏側が
灰色の鋼とねじで組み立てられていることを知ったのは
二十歳の時だった。

私が初めて入院した1996年夏。

日光がさんさんと降り注ぐ日も
灰色の雲と雨音のする日も
沈黙がいつも、8人部屋の病室を支配していた。

私の向かいのベッドには、肌の白い美しい女性がいた。
番組を変えようと、テレビのリモコンを向ける彼女の細い腕と陰うつな瞳が印象的だった。

あの頃、
薬事法改正による薬価上昇のニュースが世間を賑せていた。

聞いているのか、いないのかは分からなかったけれど
患者の誰一人として口を開く者はなく
テレビの音だけが部屋に痛々しく響いていたのを覚えている。

派手に着飾った看板のタレント。
ニュースキャスター。
街を闊歩し、看板やテレビの大画面を横切る人々―

その隠れた裏側で、
痛みながらひそやかに生きる人間がかくも存在しているのに―

このとき、私の頭の中で「普通の人」という概念が崩れ落ちた。

普通って何?

これが社会に対する批判精神が生まれた最初の瞬間だった。

10年前の夏の日だった。

posted by 野々花 at 21:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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委ね、流れるように

流れに身を委ねて生きてみよう。

人の生命の行く末をこんな風にとらえるようになったのは、三十を過ぎたこの頃です。

結局どうあがいても
どんな決断を下したと思っても

漠と感じられる自然に逆らわないことが

おそらく正解なのだと。

posted by 野々花 at 17:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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