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2008年09月30日

ストレス解消法

坦々と家で過ごす日々。

好きで引きこもっているわけでない。
どんなに外が晴れていようとも、出られないものは出られない。

そんな時、無力さに苦悶し、ストレスの解消法をあれこれ探す。
私は酒もタバコもやらない。
目下、ひとりせんべいをガリガリかじっている。
硬いものほどよい。
太りたくはないので「堅あげポテト」は極力、量を抑える。
セブンの「プレーンクラッカー」はカロリーがやや低め。

先日は通院する大学病院の売店で駄菓子を見つけた。
「しょうがせんべい」と「もろこし」。
カロリー表示はないけれど、おそらくこのふたつが硬度(?)、
カロリー、ストレス発散度ナンバーワンだろう。
そして。
今日は別の方法を思いついた。
サツマイモとリンゴとカボチャの煮物を作って好きなだけつまむ。
料理自体が作業療法になるし、健康的で太らない。どうだ!
ただ、硬くないのが難点だ。

病気で自由にならないストレスは皆抱えていると思う。
それを上手く、安く、低被害で発散出来るよう、試行錯誤中。

皆さんはどんな工夫をしていますか。

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2008年09月29日

『智恵子抄』

昔から好きだった本のなかに高村光太郎の『智恵子抄』がある。

昭和のはじめ、彫刻家であり詩人の高村光太郎の妻、智恵子は精神分裂症(光太郎の表現)を発症する。次第に狂気に支配され、死に至るまでの愛する妻が詩に詠われている。

「人生遠視」
足もとから鳥がたつ
自分の妻が狂気する
自分の着物がぼろになる
照尺距離三千メートル
ああこの鉄砲は長すぎる

「風にのる智恵子」
[・・・]
尾長や千鳥が智恵子の友だち
もう人間であることをやめた智恵子に
恐ろしくきれいな朝の天空は絶好の遊歩場
智恵子飛ぶ

「千鳥と遊ぶ智恵子」
[・・・]
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい―
人間商売さらりとやめて、
もう天然の向こうへ行ってしまつた智恵子の
うしろ姿がぽつんと見える。
二丁も離れた防風林の夕日の中で
松の花粉をあびながら私はいつまでも立ち尽くす。

「値ひがたき智恵子」
智恵子は見えないものを見、
聞こえないものを聞く。       
智恵子は行けないところへ行き、
出来ないことを為る。

智恵子は現身のわたしを見ず、
わたしのうしろのわたしに焦がれる。

智恵子はくるしみの重さを今はすてて、
限りない荒漠の美意識圏にさまよひ出た。
わたしをよぶ声をしきりにきくが
智恵子はもう人間界の切符を持たない。


(高村光太郎『智恵子抄』、新潮文庫、1967年より)

繰り返し読んでは涙し、感動に浸っていた発病前。
まさか自分自身が彼女と同じ病気になろうとは、思春期の私にどうして想像し得ただろう。

今、新たに読み直すと、光太郎の心が痛く響くが、涙は出ない。
現在のような治療薬のなかった時代だったのだと思う。

だが何より、彼の鮮烈なことばが色あせることなく、今日まで残っていることに感嘆する。

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2008年09月28日

焦り

退院してひと月が経った。

社会との接触はまだ復元していない。
自宅で安定して過ごすこと―これが現時点での目標であり医師との取り決めだ。

復帰を待っていてくれるはずの人たちは今頃何をしているだろう。
私の共同研究者、仕事の依頼主、所属団体の人々・・
健康で多忙な人ほど時の流れは速い。

私のことをまだ待っていてくれているだろうか。
それともとっくに忘れ去られているのだろうか。

一人夕焼けの空を眺める。
社会から置いてきぼりにされたような気がして心もとない。

からっぽの今。不安だ。

社会から必要とされていると感じること。
これが人間に自信をもたせ、己の存在意義を確認させてくれる。

早く戻りたい。
人々の往来する人間喜劇の只中へ。

私という人間が忘れられないうちに―

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知力

財産は頭の中に貯めておけ。

そう言われて育ったのを思い出す。
ソ連が解体し、金は紙くずになった。
あろうはずもないこの国で銀行が倒産した。
バブル崩壊を大学時代にみた私は「確かなもの」は頭の中にこそあると確信した。

勉強をした。

知は力なり―実社会でその言葉を実感する機会が多々あった。
統合失調症を患いながら、10までの数を数えられないときもあったにせよ―

メディアが踊り出す。人々が踊り出す。

必要なのは溢れる情報を選り分け批判する眼力。
この時代を生きるためには、知力こそ最大の武器。

だから止めない。学び続ける。

食の安全も、詐欺から身を守るも、遠い社会の行く末を見据えるのも、すべて知力が為すすべなのだ。

障害。病気。それを乗り越える力にもなるんだ、知ってやつは。

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2008年09月27日

なぜ書くのか2

書くという行為。

しかもそれを世界へ発信するという、ここ数年定着してきたブログという新しいメディア。
紙に書き自分の胸のうちにしまっておく日記とも違う。
毎日書いては投稿するこの文章には、目に見えない読者がいる。

自分にとって、書くことはいわば語りだ。

書いて発信する以上、そのことばは不特定多数の人間へ語りかけることになる。
私は受け手が心地よく読めるよう、ことばにリズムやテンポを持たせ、理解してもらうべく説明を加える。

そして、この書くという行為は別の側面を併せ持つ。

時として、語りは記憶の脚色となるのだ。
脚色とはうそを書くのでは決してない。
事実をこころの中に寝かせ、それが熟成し、物語となること。
この無意識に行われる記憶の脚色によって、私は過去を綴る行為が出来つつあると感じている。

日記とも違う、過去を整理する作業。
それは自分が未来を開くために必要なプロセスであるらしい。

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2008年09月26日

脳の活性化

脳の活性化。

といっても、果たして医学的にこんな言い回しがあるのか、どんな意味を持つかもわからない。

ただ、私が言わんとするのはこうである。

この半年間、引きこもり状態の私は、夫が勤めに出ている一日の大半を一人で過ごす。電話や、郵便、セールスマンが来る以外、ほとんど物言わずに一日が終わる。

小康状態の最近。
夫が居る土、日に私の症状はぐんと良くなる。なぜか。
夫との会話による、脳の活性化ではないかと思うのだ。

こわばっていた顔面の表情が和らぎ、人間らしい表情に戻る。
語彙の数が増し、会話のテンポが速くなる。
意志や欲求が生まれ、動作が機敏になる。

逆に、調子の悪い時期には、夫がいても症状が良くない。増悪することさえある。

普段、一人きりのマンションで、発生する刺激はごく限られていてストレスの大きさは一定でかつ少ない。けれど、夫がいると、何らかの物音やランダムな動きが生じて、ストレスは確実に増える。
(居てほしくないという意味では決してないのだけど)

症状がひどいときは絶対安静。

でも、ある程度落ち着いてきた時、身近な家族とのコミュニケーションは病気に効果的だと思う。それによって脳の働きが活発になるからだ。

患者の体調は日々変化する。
患者本人もその家族も、今どの程度の接触が有効で、どこでやめるべきなのか、見極めながら毎日を過ごしてみてはどうだろう。

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2008年09月25日

よみがえる感覚

三年前の春。

私はいつものように母親とともに大学病院の外来へ行った。
帰り道、バスターミナルでバスを待つ間、自販機で紙コップに
入った熱い緑茶を買って飲んだ。

その時だ。

久しく失われていた嗅覚が、お茶の香りをとらえた。
お茶の薄緑色が今なお鮮明に思い出される。
衝撃の瞬間だった。

お茶が香る
ここに一杯のにおい
わたしに世界が寄り添う
日差しが皮膚をなでる
そして感覚が立ちあがる―

(2005年4月20日のメモより)

私は今、過去を想起し整理するという作業が
ポツリポツリと出来始めている。

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2008年09月24日

広い世界へ

単独で外出ができない日々。

外はこんな秋晴れなのに、待ち受けているだろう風の音や人に怯えて玄関のドアをあけることができない。安全な場所は室内だけ。

自由に外を歩きたい―

窓の外を見ては歯がゆい思いをしてあがく。

何でもいい。些細なことでもいい。強い意志や意欲が生まれて
それを成し遂げる行動力がほしい。

たとえば、徒歩五分のコンビニに、みぞれアイスを買いにいく。
買いに行きたいという、私にとっては稀有の、欲求なるものが
重いマンションのドアを押し開けるのだ。

それでも、薬の副作用で私は時々足が上手く動かない。ペンギン歩きのように足を引きずって歩く。五分先のコンビニが遠いのだ。

色んな意志や希望や欲求が生まれ、それを叶えるために歩き、走り、手に入れるべく試みる。それが自由だ。試行錯誤ができるという、試みこそが自由の者の権利だ。

家の中でできることを日々探しながら前向きに生きている。
けれど私は広い世界があることを知っている。

いつの日か闊歩した広い世界。
戻りたい。

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2008年09月23日

ゼロ親等

私たち家族だね。ゼロ親等の家族だね。

誰とも交わる気力なく、ひっそり家に引きこもる。
我ら夫婦はコインの表と裏のように隔たりがない。

鉄筋コンクリートのマンション8階。二人包まって耐える。

ふたりと外。
ふたりと社会。

力ないゼロ親等は、包まって我らの病を忍ぶ。
この運命に震え、おののきながら。

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2008年09月22日

精神疾患の夫婦

夫婦ということばを聞くと、ジグソーパズルを思いだす。
ふたつの別々の形をしたピースが、ぴたりと組み合わさり収まる。
それは静かな融合で、まるで穏やかな灯のよう。

どちらにも個性がある。どちらにも我というものがある。
けれどそこには上下も主従もなく
ただ補いと、促しと、受け入れがある。
あなたの弱いところを補い、あなたの良いところをそっと伸ばす。

そして

私たちは偶然にして、ともに精神疾患を抱えることとなった。
うつ病を抱えるあなたと統合失調症の私。

「こころ」とは一括りにはできない
この二つの病は本当に性質が違う。

代わる代わる良くなり、悪くなる
そして補うということを繰り返し学ぶ。

二人家族、静かに暮らす
こんな夫婦もある。

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2008年09月21日

生命を感じる

広大な農地に、びっしりと実る米、麦、大豆。
訪ねた大学の教授ご夫妻は温かく私たち夫婦を迎えてくれた。

羊が二匹。畑には収穫期を迎えた作物が溢れる。
大小のダリアの花。花摘みをした。

「たくさん、お花を持っていってちょうだい。そう、根元から切るの。

とうもろこしはもう時期が終わりね。

そこの枝豆も持っていって。

ミニトマト採って食べながらやりましょう。 」

大地のような、おおらかな奥さんのたたずまいが何とも温かい。
博士号を取ってすぐ障害者の身となった私を知る教授が言った。

「しばらく、のんびりと畑でもやるといい。」

心がほころんだ。

豊かな自然とそこに暮らすこのおおらかなさに包まれると
鉄筋コンクリートのマンションで病む自分がちっぽけに見えた。

いかに自分の生活が無機的であることか。
来月引越をしたら、家庭菜園をしよう。

頭脳労働ばかりしてきた。頭の中の豊かさはもういい。
そうでないまったく別の領域を開拓しようと思う。

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2008年09月20日

ゆるやかな告知

統合失調症という病気には、告知という問題がある。
病気自体のもつ深刻さ、社会における偏見ゆえだと思う。

病名を知らされてショックを受けた人、まだ幼くてよく理解できなかった人、様々なケースがあるだろう。

私の場合、それはゆるやかな告知だった。
今思えば、主治医の力量の大きさに感服する。
ワンクッションならぬ3クッションほどおいての告知だった。

あるとき、診断書を書いてもらう機会があり、これまで「抑うつ状態」となっていた診断名が何故か統合失調症になっていた。問い合わせると、

「抑うつ状態って書くと、なかなか病名として通じにくいんだ」

「それに、今抗精神病薬を飲んでるのに、うつ病だっていうのは矛盾しているでしょう。」

そうかぁ・・・、そんなものか・・・??
しばらく経ったある日、もう一度私の病名について尋ねると、

「抑うつにもいろんな傾向があって、あなたの場合、どちらかというと統合失調症に近い抑うつなんだ」

そして、今年3月。
明らかな幻覚に襲われて、夫婦二人で受診した。

「前も言ったように(言ってない、言ってない)、病名は統合失調症ですよ」

ああ、やっぱりそうか。やっぱりそうなんだ・・・
ショックはもちろんあったが、はっきりしたことで、何か安堵すら覚えた。

告知の時期についても、医師の配慮があったと思う。

結婚して一年経ったときだった。確定診断はとうの昔であるのに、就職や結婚といった将来を思って、あえてこのタイミングを選んでくれたのだろう。

もしずっと前に告知を受けていたら、私は結婚できなかったかもしれない。夫には悪いことをしたと思うけれど、きちんと受け入れてくれた。

告知は非常に難しい問題だと思う。
今は何よりも医師に感謝したい。

posted by 野々花 at 18:53 | Comment(3) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年09月19日

再生の詩

すべての崩壊から再生へ向かう道を探った、ある詩人がいる。

第二次大戦中、ナチスドイツによるホロコーストを生き延びた
一人のユダヤ人女性。

再びゼロから生きるということはこういうことかと思う一節がある。

救われたわたしたちは
あなたがたに乞うのです。
あなたがたの太陽は少しずつ見せてください。
星から星へわたしたちをそろりと導いてください。
生きることをもう一度ひっそりと学ばせてください。
さもなければ鳥の一声さえ
封印されたわたしたちの苦悩を打ち破るかもしれないのです。
(和訳:筆者)

大戦によって何もかもが崩壊したあの時代に、ひっそりと詠われた再生の意志。

何かが癒えるとき、時間は音もなく、ひっそりと経過するものだ。
再生の静けさは、神秘に似ている。

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2008年09月18日

認知機能障害の風景

信号が青に変わる。
4車線の車が二方向に流れ、人もまたそれぞれに歩く。
青信号を告げる音がぴよぴよと鳴く。
空は風が強く、私の斜め横から吹きつける。

人目を縫って自転車をこぐと、
横には信号待ちと右折の車がエンジンをぶんぶんうならせる。
風がまたびゅうと吹いた。
どこかで旗がパタパタと踊っている。

何という混乱。何というカオス。
「この世界」は白昼にあって戦々恐々としている。

私の中だけで―

今にもわが身に襲いかからんとする「この世界」。

壊れてしまったのだろうか。私は壊れてゆくのだろうか。

私の障害をきたした認知機能だけが察知する蠢くものたち。
風がいかにランダムに流れているかに慄いて
人々の予測不可能なる蠢きに恐怖する。

国道36号線。嵐の交差点で立ち往生。
唯一、規則を発令する信号だけは私をまだ裏切らない。

posted by 野々花 at 19:01 | Comment(3) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年09月17日

離人感

近くに、わたしの触れない世界がある。

明るく、悲しい世界があるのに、
わたしはそれを感じることができない。

人間の雑踏という喜劇の舞台に、
わたしはひとり、観客である。

これを離人体験といいます。

posted by 野々花 at 20:54 | Comment(1) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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伴侶

心もとない夕暮れ時。
夫の帰りをじっと待つ。
空がぼんやり暗く、夕焼けがしだいに消えてゆく。

共に生きる人はうつ病を抱えている。
今日は仕事をこなせただろうか。
また休職にならないだろうか。
そんな心配をしながら私は一日、一日夫を支え生きている。

誰かを支えるなんて、支えられてやっと生きてきた私には
初めての経験だった。
過労で病に倒れた夫に寄り添い、闘い、笑って、もう一年が経つ。

人は逆境に立たされるたびに、笑い、強くなる。
ひまわりのような笑顔は、心から振り絞った「ガンバ」の声。

あなた、少し笑って。
あなたの高らかな笑い声が懐かしいよ。
あなた、いつかまた笑って。
はじけるような笑顔を見せて。
病めるときも、健やかなるときも、寄り添う人よ―

posted by 野々花 at 19:08 | Comment(4) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年09月16日

K

心が揺らいでいる時、ぐっと何かに耐える時、必ず聴く曲がある。
ドラマ『1リットルの涙』の主題歌でもあるKのOnly Human。
演奏の完成度が高く、Kの才能がよく分かる。

今も聴いている。

「強く 前へ 進め」

歌うKのことばに説得力がある。
まるで自分に言い聞かせているかのように何度も聴く。

「前へ、前へ 進め。」

私にはまだ、過去を振り返るということができないらしい。

この病気が極期へと移行した8年前から現在にいたるまで、
闘病の記憶を整理し、生きた日の思い出とすることができるまで
私はあとどれだけの月日を必要とするだろう。

今はただ、今日を生きることしかできない。

posted by 野々花 at 17:56 | Comment(3) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年09月15日

「障害者」の意味2

精神障害二級。
障害という言葉がわが身にふりかかってからしばらく、その本当の意味を考えている。

国や市町村に障害者認定の申請をする。行政の定めた条件を満たし認定されたとき、その人は「障害者」となる。

精神障害はたいてい、申請をしなければ社会的に認知されにくい。機能の障害が目に見えにくいからだ。だから障害者になるも健常者たるも国の決め事に過ぎない、と考えることができる。

「障害者」は国の制度による人間の分別―

一方、より日常的な場あるいは主観的な視点で障害者を指すとすれば、いったい何が基準となるだろう。

人が平均的にできることができない―
それは、二桁の足し算ができないことも入るだろうか。
それでは五桁の掛け算を暗算できる人はどうなる?
でたらめのような言葉を並べる「おかしな」人は皆、思考障害か?
けれど、その言葉はあるとき詩とみなされることもある。

障害も個性のうち、と言った人がいた。
これだけの人間が世の中にいる中で、多様性はどこまで認められるだろう。

多様な個を認める社会に、今の日本はほど遠い気がする。

posted by 野々花 at 14:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年09月14日

人生の縮図

不安定な時代。世は生活の安定を求める人々が右往左往する。
人間たること、命そのもの。最低限の安定が保証されない。

逆に、見えすぎてしまう将来もある。

今、私の目の前には、家の設計図がある。
私と夫が来月移り住む、新築一戸建ての間取り図だ。
リビング、キッチン、ベッドルーム、ユーティリティー、書斎。
将来年をとったときの生活を想定したバリアフリー設計。
少し大きな庭と平屋。そこには予備の部屋や子供部屋はない。

一生ここに住むんだね、私とあなた。
そこには二人の幸せがたくさんつまるはず。
だけど、ずっとふたりきりなんだね。
それは私たちが決断したことだけれど。

二人人生の最後までが透かし見えてしまうこの設計図は
まるで人生の縮図。

未知の余地なく先が見えすぎているのは、少し寂しい。

posted by 野々花 at 18:17 | Comment(5) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年09月13日

反省

前記事「障害者」の意味を書いて後悔した。
知らずに気持ちが落ち込んでいたのだと思う。
日記のように一時の感情を綴るのではないと
なぜ書くのかで明記したはずの私が、
将来が見えない、などと弱音を吐いてしまった。
揺るぎないことばだけを載せようと決めていたのに。

前へ、前へ進め。
憂いのことばなど、誰も欲してなどいない。
現在の小さな幸せだけを見つめていれば、それでいい。

posted by 野々花 at 18:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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