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2008年11月30日

師走

ひょっとして私は寂しい人生なんじゃないかとふと思った。

孤独と寂しさが違うことは良く知っている。
私はずっと孤独だった。
群れることをせず、わが道をゆく。
そして寂しくはなかった。
知の充足、愛情の充足を十分に知っているし、
心からの友人も何人かいる。

けれど、本当はこれからが寂しいのじゃないかと思った。
病気になり、年金生活者として暮す。
友人は皆キャリアの道を行くし、両親は老いる。
主婦をしていると日中の仕事は一人だ。
子どもが望めるなら、主婦友だちもいようが
将来もその可能性はない。

皆一緒だった人々が次第に離れてゆく。
それが本当は皆一人ひとりなのだという知りたくない真実なのだ。

皆一人ひとり。

師走を迎えるこの時期、ふと頭をよぎった。
寂しさを覚えた。

posted by 野々花 at 17:02 | Comment(2) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年11月29日

知の喜び

「統合失調症患者における連想実験を用いた概念構造の評価の意義」と題された論文を読んだ。まだ博士課程の学生さんらしいが、これから始めるのであろう研究に興味が引かれた。

健常者と統合失調症患者に刺激語を与え、何を連想するかの統計を取り、両者に差があるかを測ることによって、心的概念構造(生物、魚、さんま等の階層的な言葉の意味分類)の違いを研究するというのが大まかな内容。

統合失調症における思考の飛躍といった思考障害、連想のあり方に興味があるので、その研究手法を提示したこの研究ノートは大変興味深かった。

ただ、こうした頭を使う読書をすると精神症状が出る。
脳が疲労するのだろう。それでも、知の喜びが先行して、思わず喜びを選んでしまう。
だからだめなのだ。
勉強しては倒れ、また夢中で本にかじりついては倒れる。
ゼロか100しかない生き方はもう直らないのかもしれない。

私にとって知を享受することこそが、生きる喜びらしい。
せめて周囲に迷惑をかけるほど無理をしないことを誓おう。

posted by 野々花 at 14:12 | Comment(1) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年11月28日

明日が見える

何も見えなかった。
明日さえ見えなかった。

今は、明日も今日と同じ平穏がやってくることがわかる。
孤独でもない。
これが例えつかの間の幸せであったとしても
人生でこれほど平穏な日々が送れたという記念になる。

強く、前へ進むことをしない。
後ろを振り返ることなくひたすら進むことをしない。

悲しみの向こう岸に何が待っているかもわからずに
一縷の望みを抱くことをしない。

どこへたどり着くわけでない。
何かが待っているわけじゃない。
そんな淡い期待にすがりつくことをしない。

辛かった毎日が過去になった。

posted by 野々花 at 07:56 | Comment(1) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年11月27日

統合失調症の基礎症状

統合失調症という病気からは、まず幻覚や妄想といったイメージが浮かびます。
私の場合、大してひどい幻覚や妄想もないのに、統合失調症という診断がついたのは何故だろうと考えていましたが、これまで数回にわたる認知機能障害の勉強をして、なるほどと思いました。

みなさんは、大勢の人の中にいたり、人と話した際に、頭がいっぱいになって混乱したり、思考が飛躍することはありませんか。このような症状の中にこそ、E.ブロイラーの研究にはじまる、統合失調症の本質的な障害がみられるのです。

すでに触れたように、この病気を分裂病Schizophrenieと命名したブロイラーは、統合失調症の基本症状を、4つのA、すなわち、association(観念連合障害)」「affect(感情障害)」「autism(自閉性)」「ambivalence(両価性)と定義し、なかでも、association観念連合障害(思考の支離滅裂、連想のゆるみ)を重要視していました。

その後も、ブロイラーの考えを基本に研究が進められています。
フィルター理論といって、脳に入ってくるたくさんの感覚情報のうち、必要な情報にだけ注意を向けることができず、関係のない刺激までが入ってくるため、情報にフィルターをかけることができない、つまり刺激のふるいわけることができなくなるのです。このため、脳に一度に大量の情報が入りこみ処理できず、集中できない、注意がそれるなどの症状が出るのです。

その後、ブロイラーの考えを基礎に、パイネ(1966)が過包摂こそ統合失調症の本質をなしていると説いたそうです。過包摂理論といいます。
過包摂とは、本来様々な感覚刺激を取捨選択して、会話や行動などそのとき認知に必要な情報を処理すべきところを、無関係な刺激もが一緒にどっと入って来て会話や行動を邪魔することです。ここでは、外的刺激だけでなく、内的刺激、つまり自分の頭の中から出てくる考えもフィルターにかけることを想定しています。

ワーキングメモリの障害説はすでに説明しました。
脳に感覚刺激を入力し、情報処理を行い、行動として出力されるという認知過程が前頭葉の前頭連合野で生じます。そこで情報処理に不可欠なワーキングメモリ(記憶の種類で、情報を一時的に蓄え、それらを編集・処理する機能。作動記憶)が障害されることで、複数の情報を統合できなくなり、ばらばらに分裂する(連想分裂、連合弛緩)。物事を順序づけ、並び替えたりして物事を適切に理解することができなくなり混乱や誤った認知をきたすのです。

情報処理障害、注意障害、集中力の障害。
こうした認知機能障害にこそ統合失調症の本質があるのです。

どなたか、補足、訂正をお願いします。何分素人なもので・・・

posted by 野々花 at 12:20 | Comment(8) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年11月26日

認知と思考2

ワーキングメモリ(作動記憶)が、@感覚刺激を選択的に入力し、A一時的に貯蔵し、B概念化、カテゴリー化を経て、C理解、解釈という出力を生み出すことはこれまで見てきました。

@は、たくさんの刺激を選択して脳に取り入れる、つまり必要な刺激にだけ注意を向け、目や耳から情報を入力することです。この機能が障害されると、不必要なものすごい量の情報までもが同時に入力され、頭がいっぱいになり苦しくなったり、混乱をきたします。頭の混乱は、脳の認知過程において情報処理が障害されることにより引き起こされます。

A情報を処理するため一時的に留めておく記憶のことを短期記憶一時記憶といいます。その情報はすぐに忘れられるか、長期的な記憶へと移行します。

Bは、前回の記事に書いた、認知過程のありかたです。スズメが飛んでいるのをみると、脳にある心的辞書にある鳥という上位のカテゴリーに概念化し、記憶されます。このとき事象や物事を概念化して理解するためには、どこまでも上位のカテゴリー化がされるわけではありません。スズメは鳥という上位のカテゴリーへ編入され記憶されますが、動物、生物といったそれ以上大きなカテゴリー化へは進みません。適度な抽象度のカテゴリーのことを基礎レベルカテゴリーといいます。

Cについては、スズメは鳥である、ペンギンは鳥である、という二つの文が正しいかを判断するとき、典型性が高いスズメの方が、より早く鳥であることを判断できます。これがプロトタイプ効果です。典型性が高いほど、連想反応が高いことも知られています。

ところで、タバコから広島カープを連想することを異常であると判断されるのは、どうしてでしょうか。先に触れたように、タバコという言葉や現物を見たり聞いたりしたとき、その特徴の総体であるフレームに属するものを連想することが普通だからです。広島カープのフレームとタバコのフレームには一見、接点が見出せません。

しかし、ここでこの統合失調者の連想を連合弛緩あるいは思考の飛躍であると断定できるでしょうか。例えば、野球場で広島と阪神が対戦していたとしましょう。そこで誰かがタバコを吸っていたとすれば、広島カープをの赤い帽子をかぶった選手とやはり先が赤く燃えているタバコに、高いイメージの共通性が見出せないでしょうか。

こうした、特殊な文脈によってのみ包摂されるカテゴリーを、アドホックカテゴリーといいます。

言葉はいつも、文脈や背景のなかに存在します。ですから、どこまでが思考の飛躍なのか、どこまでがアドホックカテゴリーとして認められるのか、それは相対的であると私は思います。

訂正やご指摘をお待ちしております。

posted by 野々花 at 13:35 | Comment(2) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年11月25日

認知と思考

今回は、認知機能の障害のうち、思考障害について考えるため、認知過程についてもう少し掘り下げて考えてみます。

前回、統合失調症の基本症状である連合弛緩について言及しましたが、これは話にまとまりがなかったり、言葉の意味のつながりが奇異であったり、思考がとまってしまう、思考にかかわる障害として現われます。では、話にまとまりがなくなる、とはいったいどういうことでしょう。これは言葉と言葉のつながりの問題です。

ある本のなかで示された例を紹介すると、タバコの火をみて、煙やライター、肺がんを連想するのではなく、統合失調症患者は広島カープと答えたそうです。タバコから広島カープを連想する。健常者はそこに思考の飛躍があると判断します。

ここで、人は通常どのように文やことばを理解するのか、知らなければなりません。認知心理学では、人間の脳には心的辞書と呼ばれる辞書のような仕組みがあるといいます。辞書は通常、見出し語があり、その下に複数の意味、その下に例文がありますね。脳においても、様々な単語がその意味にしたがって分類され、カテゴリー化され、整理されているのです。

例えば鳥。鳥には羽がある、飛ぶなど、様々な特徴を備えており、鳥を定義するこれらの特徴の総体をフレームと呼びます。鳥という概念の枠組みという意味です。脳の心的辞書には、スズメ、鳥、動物といった複数の概念の段階があります。鳥の下にはスズメ、カラス、トンビ、ペンギンなど様々な種類があります。

興味深いのは、プロトタイプ理論という説です。鳥という言葉から何を浮かべるかというとき、鳥を定義していたフレームにより近いものがイメージされます(これを符号化といいます)。つまり、鳥というカテゴリーに入るものとして、空を飛ばないペンギンよりも、スズメやカラスの方が連想されやすいのです。鳥の典型的イメージ(プロトタイプ)と類似性が高いものほど、素早く認知することができるというものです。

さて、それではタバコという単語から広島カープを連想した患者の思考はどう理解されるのでしょう。それは次回に続きます。

posted by 野々花 at 17:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年11月24日

慎重に

つい無理をしてしまった。

数ヶ月ぶりに文字を読む能力が回復したのをいいことに
文献をあさり、認知過程の勉強をやりすぎたのだ。
久しく無かった幻聴。
文字を読み考えることができる一方で、精神症状の反動がきた。

頭が空っぽで何にも取り組めない虚しいときは病状が安定し
創造的な活動という大きな自由と喜びを得れば症状に悩む。
皮肉なものだ。

もう少しエネルギーを貯めよう。
勉強はしたいが無理をして症状をぶり返すことは生産的でない。

posted by 野々花 at 19:05 | Comment(4) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年11月23日

病名の変遷

先の記事に、情報の統合障害(連合弛緩)について言及しましたが、ちょっと補足。

統合失調症は、ご存知、治療法もなかったその昔、末期症状が痴呆と似ていたことから、クレペリンによって早発性痴呆Dementia Paecoxと名づけられていました。そして1911年にE.ブロイラーが、情報と情報をうまく統合させることができないこと(連合弛緩)をこの病気の基本症状としたことから、統合失調症(精神分裂病)Schizophrenieに変更されたそうです。研究の歴史が病名の変化となって現われているのですね。

ちなみにSchizophrenieはラテン語からの造語ですが、Schizo=分裂した、phren=心を意味しているので、和訳はあながち間違ってはいないのですね。

ところで、私が興味を抱いているのは、言語情報の連合弛緩(連想の緩み)です。思考障害のひとつに、話が飛躍する、支離滅裂になるというものがありますが、かくいう私も「話が飛んでついていけない」といわれることしばしば。連想が「不適切」に行われてゆくからなのでしょう。何をもって適切というかは別として。
次回はこれについてちょっと考えて見ようと思います。

お勉強は少しずつ。

posted by 野々花 at 10:10 | Comment(7) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年11月22日

何が失調するのか

統合失調症、精神分裂病という言葉が病気の本質を反映していることが最近理解でき始めている。
みずからの病気について知りたい、そして私の専門分野である言語の意味連鎖の研究にも関係していることから、少しずつこの病気のメカニズムを勉強している。
自分の言葉でそれを少しずつつづってみたい。

統合失調症は、一般に認知機能障害、陽性症状、陰性症状に分類されるが、認知機能障害cognitive disorder にこそ、この病気の本質があるといわれている。

脳の中で認知過程を司るのは、前頭葉の前頭葉連合野という部分。認知過程とは、感覚刺激をインプットし、情報処理を行い、行動としてアウトプットされるという一連の流れである。そこで情報処理に不可欠なワーキングメモリ(記憶の種類で、情報を一時的に蓄え、それらを編集・処理する機能。作業記憶ともいう)が障害されることにより、複数の情報と情報の関連付け(統合)ができなくなり、情報がばらばらに分裂する(連想分裂、連合弛緩)。物事を順序づけ、並び替えたりして物事を適切に理解することができなくなる所以である。これが思考障害、注意・集中力障害、言語流暢性障害といった症状として現れる。

病名が実態を表している。
それが分った。
ひとつ収穫。

posted by 野々花 at 10:39 | Comment(5) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年11月20日

年齢

鏡を見る。
目の下の深いクマが、患った病気を物語る。
意志の強い眼差しはそのままに、落ち着いた私がそこにいる。
もう若くはない。
強くどっしりとした表情に、少女のあどけなさが消えている。
いつのまにか年齢を重ねたのだ。

積み重ねてきたものがあるから今がいい。
若返りたいとも思わない。
でも、これからも積み重ねる何かがほしい。
何も磨かず、年だけとるのが嫌なのだ。

経験と自信。それが女性を美しくする。
30代はそんな時代だと思う。
病んでいても、美しくあろうと努力したい。
それを捨てたら、惨めさだけが残るから。

口紅をすっと差す。
病んでるからこそ、綺麗であることにこだわりたい。

posted by 野々花 at 09:59 | Comment(4) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年11月19日

人間の尊厳

人間の尊厳とは、それが侵されたときに初めてわかるものだ。

posted by 野々花 at 17:23 | Comment(3) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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二律背反

付き合いで、ある講演会に出席せざるを得なくなった。
題目は現代ドイツの絵画について。
イライラをつのらせながら、ある矛盾に気づく。

営利への直結が見えにくい人文科学のような基礎研究こそ、
他のあらゆる学問、文化、社会の土台をつくる重要なものだと
自らを正当化し、ドイツ文学などに時間を費やしてきた私。
そんな私が
絵なんぞ金持ちの道楽に付き合っている暇などないよ。
生活、闘病で毎日が精一杯なんだとイラついている。

心がささくれ立っているのはなぜだろう。
基礎科学こそ、日本の土台をつくっているとは思う。
グローバル経済も、相手国の理解なしに成り立たない。
相手の文化を研究することは国際社会で生きるために
不可欠だ。だから言語学も、文学も、歴史も必要な学問。
医学や工学のように実利に結びつく分野にカネが集まるのはおかしい。

でもどうやって生活するの?
その問いがつきまとう。私は偶然主婦という永久就職ができた。
けれどその私でさえ、その講演会を足蹴にする現状がある。
だって、文化云々と説いてどうやって食べて行くの?

悲しい問いである。
あまりに悲しい日本の現状である。

posted by 野々花 at 10:40 | Comment(2) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年11月17日

ジレンマ

おそらく、深い悲しみの中にいる。
飛躍するはずだった私の運命の暗さ。

社会から孤立することが怖い。
社会から隠遁して休みたい。 
二つの気持ちがない交ぜになって心が揺れる。

昨日も学会発表の依頼を断った。
期待されてはそれを断ち、チャンス到来を無下に捨てる。
社会は休むことを知らず、私だけが時の止まった世界にいる。
上手くいかない。
病気を告白し、休業を宣言するも、伝わらない。
療養がこれから想像もつかぬほど長く続く人生だのに
説明をしても届かない。

悲しみの声がふたつ。

私を忘れないで。
今はそっとしておいて。

ジレンマの日々。
たとえ平穏が続けども、心の片隅はいつも陰っている。 
おそらく心底、落胆している。 自分の人生に。
どうしようもないほどに、きっと。

posted by 野々花 at 20:32 | Comment(6) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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アトピー

皮膚が燃えるように赤い。
強烈なかゆみ。 
背中は火がついたように熱く
指がグローブのように膨れ上がる。

炎症する皮膚が全身を覆う。
人間は皮膚で覆われている。そのことがわかる。
身体を傾けるも伸びるも、すべて皮膚があるからできる。
笑うとき、どんなに皮膚が伸縮しているかに気がつく。
笑えないのだ。
手は皮膚の伸縮を拒み、握ることができない。

何故に燃える?
燃えられぬ私の魂の代わりか。
烈火のごとく生きられぬ代わりか。

闘う生命がまざまざとみえる。
炎上する私の皮膚。
主治医は私のアトピーを、統合失調症の身体合併症とする。

posted by 野々花 at 10:06 | Comment(2) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年11月15日

爽快

久しく笑うことを忘れていた。
何かを成し遂げたときの達成感を今、味わっている。

ハードな仕事をこなした夫。
お舅、お姑さんをはじめて手料理で迎えた私。

やり遂げた。
爽快。
軽快な言葉が口をついて出てくる。
やった、やった。終わったぞ。
冗談を言う。寝転がる。
今日はちょっとお酒でも飲もうか。
それぞれ頑張った一週間の終わりに
夫とふたり、乾杯。 

それぞれに役割があるね。
どんな小さくても、自分の役割を果たすことに喜びがあるね。
私とあなた。それでいい。

posted by 野々花 at 16:45 | Comment(12) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年11月13日

待つ人

桐の葉も踏み分けがたくなりにけり/必ず人を待つとならねど

平安末期、式子内親王の歌った一首である。
深まる秋。待てども、待てども、想い人は来ない。
落ち葉も踏み分けがたくなるほどに積もってしまった―
想い人とは法然だったとも言われている。

寒い冬が訪れようとしている。
夫は夜遅くまで働き、帰宅を待つは私ひとり。
式子内親王の悲恋ではないけれど、自身と重ねてしまう。
待つだけ。
待つことしかできない女にはなりたくないと生きてきた。
確固たる人格をもち、自らの足で人生を歩む。
だが今の自分はそうではない。
夫の都合に合わせて生きている。主婦業だからだ。

研究者であった頃は、いかに強固な独自性を顕示できるかが
問われていた。
私は今、その「我」を捨てようとしている。

しかし不慣れなのだ。
誰かの人生に合わせて、自ら寄り添って歩むとは。
主婦業は難しい。
黒子になって働くこの主婦業は、本当に難しいと思う。

posted by 野々花 at 14:09 | Comment(9) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年11月12日

亡き王女のためのパヴァーヌ

5年前。
大学院在学中のことだ。

詩の研究をしていた私は、教授とのディスカッションのなかで
一行に音節がいくつあるか数えていた。
私は本来13あるはずの音節を11とカウントした。
教授が言い放った。

「数も数えられないなら、研究をやめなさい」

涙を浮かべながら大学を後にした。
白昼の道端。
頭の中に流れていた音楽を今でもはっきりと覚えている。
フランスの作曲家、ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』

それからというもの、あの繊細で、美しく、悲哀に満ちた旋律が何度となく頭をよぎるようになった。

あの頃、私は何と弱かったろう。
力強い生命も、壮絶な死も知らず、ひたすらはかなく脆かった。

生きているということは、筋肉が収縮・弛緩し、肺に空気が送り込まれ、心臓のポンプが絶え間なく動いているということなのに、
私は身体をただ頭脳の付属品とでもしか認識していなかった。
身体は眠っていた。
そして、死は肉体の機能の停止であることを知らなかった。

そんな時代がふと思い出された。
地に足をつけ、自分の重みで大地を踏みしめている
今日、この日に―

posted by 野々花 at 13:19 | Comment(4) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年11月11日

回帰する時間

日々、円を描くように生きている。
朝日が昇り、決まった朝食をつくり、
不調を夫と分かち合い、
掃除に洗濯・・
働いては病み、働いては病み、めまいを覚える。
我が身を奮い立たせ、労働を繰り返す。
日々、起点から終点へ回帰する。

時間にはふたつある。
直線の時間と円の時間。
どこまでも上を目指す人もいる。
登れども、登れども、終わりのない人生もある。
私はそんな生き方をやめ、ゆるやかな螺旋階段をゆく。
これを安住というだろうか。
ただ、黙々と労働する。
何故か、それが尊いのだ。

posted by 野々花 at 14:43 | Comment(6) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年11月09日

何故という問い

何故、こんな病気になってしまったの。

答えのない愚問を呈することなく走ってきた。
初めてだ。
この運命の惨めさに泣いたのは。
何故、こんな病気になってしまったの。
苦しくてあがいて、抜け出そうとした。
逃げ道はどこにもないのに。
ただ、嵐のおさまるのを待つしかないというのに。

何故、と問うた。
そしたら、涙が出てきた。
運命が、必然が、あんまり偶然過ぎて
私はこういう人生を歩むように生まれてきたのかと震えた。
逃げ道はきっとない。
大切なものがあるから、逃げることはできない。

大切なものを増やして、茨の道を突き進めよ、おまえ。
それが唯一の道じゃないか。なあ、おまえ。
失いたくないものに必死にすがりつけ。
そしたら、生きられるから。

posted by 野々花 at 19:19 | Comment(4) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2008年11月08日

喪失の体験

「病気になっていろんなことを諦めた。
それはしょうがないと思っている。
でも、友だちまで失ってしまったら
私が私じゃなくなってしまうの」

ドラマ「1リットルの涙」で不治の病に侵された主人公のセリフだ。
自分を自分たらしめている不可欠なものを、その主人公はさらりと言ってのける。

自分たらしめているもの。
そんなものは、もうとっくに失っている。
自分を支えるもの。自分が生きている証となるもの。
新たなるものを求めて歩けども歩けども、見つかりはしない。

「私が私じゃなくなってしまうの。」

では、すでに失われた私はいったいどこへ行けばいいのか。
探っても、探っても、彷徨うばかり。
ただ息をしている。

目に見えない心の不自由。

自身の喪失というこの静かなる震撼を
私はいまだかつて経験したことがない。

posted by 野々花 at 15:46 | Comment(10) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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