ad_poem.png

2009年01月31日

振幅

気がつかぬ間に少しずつ
こんな大きな自由を手にしていた。

認知も思考も障害され
ただ蝋人形のように一日を無為に過ごしていた
あの頃はそう遠くない。

いつの間にか少しずつ
こんな贅沢な自由を手にしていた。

揺れるブランコのように
一定の振幅をどのように動いてもいいという自由。
大きく豊かに振れても良い。
微細な感情に震えても良い。
甘い香りのするゆとりさえ生まれている。

制約を強いられるほど自由の大きさがわかる。
こうして病気の自己は収縮と伸長を繰り返す。

病気と付き合うということの何という長さ。
しかし長いスパンでものを見れる、それはひとつの力だ。
自分が時間の大きなうねりの中のどの一点であるかを知る
分析力だ。

posted by 野々花 at 10:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ応援してくださる方クリックお願いします
にほんブログ村

2009年01月30日

誰についてゆくの

人は誰について行くかで人生が変わる。
誰の子である?
誰の弟子になる?
誰の女になる?
強い人について行くとき
時としてその人の人生に吸い込まれてしまう。
自分がその人の犠牲者になることがある。
人は親を選べず、師匠を見定められない。
師匠には偶然出会うものだと思う。
そしてパートナー。
新しい世界をみせてくれる刺激的な男もいいけれど
自分がぐいぐい引っ張れないと
人生に責任が取れない気がする。
だからパートナーは師匠であってはいけない。
新しい世界は二人が同じ目線で見るもの。

誰について行く?
私はいつか
ついておいでと言える人になりたい。

posted by 野々花 at 07:33 | Comment(5) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ応援してくださる方クリックお願いします
にほんブログ村

2009年01月29日

ことば

また書きたくなった。
ことばの要らない時間の後に
「書きたい」が押し寄せる。
ブラインドタッチが追いつく前に
「書きたい」が溢れ出す。
噴水が吹き出るごとく
ことばとしての理が形を成そうとする。
泉のように綺麗な非物質が
人間臭をまといながら活字となる。
理という響きがいい。
氷のように綺麗だ。
理はことばとなって、美しいフォルムを備える。
そしてどろ沼のような人間の醜態を描く。

posted by 野々花 at 17:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ応援してくださる方クリックお願いします
にほんブログ村

2009年01月28日

人生のベクトル

今、幸せに向かっている。
はっきりとした正のベクトルをもって
自然と運命が流れてゆく。
子供が望めないと落ち込んだことも
病気を背負い続けるということも
私の幸福にとって取るに足らないことかもしれない。
大きくうねり続ける人生のベクトルが
確かに行くべき方向を向いている。
二十代を子育てに時間を費やさず
婚約者を置いて学問へひた走ったのは
学問的業績という「わが子」を産んだことに等しい。
だからよいのだ。
五年来続けている学術翻訳も私のライフワーク。
技術も日々、進歩する。
だからよいのだ。
私はパートナーと寄り添い、私の専門をもって生きてゆく。
後悔はない。

posted by 野々花 at 08:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ応援してくださる方クリックお願いします
にほんブログ村

2009年01月26日

築いてきたもの

この家に引っ越して間もなく
夫が出張で家を空ける。
飲み会で遅くなるだけで不安だった私は
今回の出張をちっとも怖がらない。
行っておいで。
おうちで待っているから。
そう言える気持ち。
ここが二人で作った家であり
ここが帰る巣なのだから
私はこの場所であなたの飛んでゆくのを見ている。
行っておいで。
おうちで待っているから。

寂しくはない。不安もない。
家庭という見えない建造物が
もうできている。
見えない主婦業の積み重ね。
二年で築いた家庭の感覚がしっかりとある。
研究者をあきらめ、何も築いていないと悩んだ
結果がここに確かにある。

posted by 野々花 at 17:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ応援してくださる方クリックお願いします
にほんブログ村

ことばが少なくなってくる

だんだんことばが少なくなってくる。
主張したい議論も
猛々しい感情も
私の内に今はない。
淡々と時間を過ごし
静かに一人、家庭の主婦をしている。
平穏であるという
こんなに平凡であるという、何という非凡。
日光がベランダから燦燦と降り注ぐ。
今日は暖かい。

愛されている。
こころから愛されている安心感がある。
夫とぴたりと寄り添うように生き
何も言わなくてもわかる。

だんだんことばが少なくなってくる。
そして―

posted by 野々花 at 12:07 | Comment(2) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ応援してくださる方クリックお願いします
にほんブログ村

2009年01月25日

アイディンティティ

ほろ酔い気分のような
離人感。
今動いている二本の手が
目の前に組まれている足が
自分と繋がっているのかがわからなくなる。
果たしてキーをたたくこの指は誰に属しているのか。
夫の声を聞いているのは誰なのか。
この声を発しているのは。
というよりも
自分はどこにいるのだ?
そう問いを立てる「意識」が上の方にある。
ただそれが自分というものと遊離しかけ
まるで自分の実体がどこにもないようなのだ。
自分?
それは何だ。
この二本の手と足と考えている「意識」が
ばらばらなのだ。

離人感を感じるときいつも思う。
自分という存在は想像によって作られた産物ではないかと。
動く手や足、考える意識、発せられる声が一まとまりであると 
いったい誰が知りえよう?
同一性と訳されるアイディンティティという言葉がある。
今この瞬間、その同一性が失われている。

posted by 野々花 at 18:46 | Comment(1) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ応援してくださる方クリックお願いします
にほんブログ村

2009年01月24日

詩のことば

ことばを失うことがある。
人は驚き、悲しみ、怒りにことばを失う。
そして幸福にことばを失う。
真に幸福の人にことばは要らない。

満ち足りたとき、創造は起こらない。
詩は苦悩の人の向かう行為だ。
詩は常に苦悩の人の難産だ。
詩のことばはいつもそうでなければならない。
残る詩には生の苦しみの痕跡がなければならない。

posted by 野々花 at 20:02 | Comment(4) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ応援してくださる方クリックお願いします
にほんブログ村

2009年01月23日

分かれ道

ごくありふれた幸福をずっと求めていた。
何事もない平凡な生活を求めていた。
平凡であるということがいかに難しいかを考えながら。
誰しもが荒波にもまれ、右往左往しているというのに
病を抱えた私だけが渦中にあると思っていた。
少なくとも
この嵐に巻き込まれた私の両親と妹は
廃人になるやもしれぬと疑われんばかりの私に寄り添い
ぴたりと寄り添い
私が狂気のナイフを振り回そうとも
ぴたりと寄り添い
傷を負った。
そして私のために離散しかけた。
統合失調症の告知を受けた一年前
私は頭を垂れてわびた。
病によってどれほどのものが失われたのか
その大きさと周りが見えた。
今でも思う。
病をかかえていなかったら―
人生の分かれ道のあった十年前を思い悔やむ。
病をかかえていなかったら
別の幸せが待っていたのではないかと。
苦しい。
二本に分かれたレールのもう片方を私は来てしまった。
人生を振り返ったとき初めてできる分かれ道。
そのようにしか生きられなかったのに。
そうだ、そのようにしか私は生きられなかった。
私の現在はこのようにしかありえなかった。

それを受け入れるんだ―

posted by 野々花 at 16:46 | Comment(5) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ応援してくださる方クリックお願いします
にほんブログ村

2009年01月22日

うねり道

満たされている。
言葉はない。
暗く暖かな時間が流れている。
阿鼻叫喚の人生がうそのように
自分のつくった巣の中に居る。

この落ち着きがやっと手に入るまで
十年の道のりを這ってきた。
闘病。
死闘だった。
もがくために生まれてくる子供たちの顔を
見たくないと思った。
死ぬために、いや死ぬまでの苦しみに耐えるために
生まれてくる子供たちの顔を見たくないと思った。
なぜ人は飄々と生きていられるのだろうと
電車の人ごみの中、不可思議に首をかしげた。
命ならほしい人のためにあげるよと
思っていたあの頃、
一番苦しいと思うときがいつまでも、いつまでも続いて
どん底にあり続けることが地獄なのだと知った。
患う狂気の私。
こんな安穏とした人生がくるとは思わなかった。
人生の転換。
人の道はこんなにもうねる。

posted by 野々花 at 15:37 | Comment(4) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ応援してくださる方クリックお願いします
にほんブログ村

2009年01月21日

一人酒

寒い日中に杏露酒を飲む。
甘くてとろりとした一人酒。
喉がかっと燃えがる。
臓器が騒ぎ出す。
震えて布団にもぐれば
心地よい疲労が眠りを誘う。
暗い冬の夕暮れ。
静かな住宅街。
曇り空の下
ちらほらと帰宅する人がみえる。
ひとり孤独の私は
この秘密の墓地に眠る。
暖かな孤独。
心地よい、私だけの―

posted by 野々花 at 16:52 | Comment(5) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ応援してくださる方クリックお願いします
にほんブログ村

2009年01月20日

日々の生活に追われ
見えない明日がある。
食べてゆくこと、生きてゆくことで精一杯で
夢は現実の小さな願望へと収縮する。
それが三十代の時代なのかもしれない。
それが本来なのかもしれない。
今までは夢を見ていたから。

人は本当に一生夢を見られるだろうか。
年を取り、追憶の割合が明日より大きくなる。
まだ夢を見られるだろうか。
統合失調症の告知を受けた一年前から
私は夢と希望を失ったまま止まっている。
可能性?
わからない。その言葉の意味がわからない。
無限階段を一段一段上る。それだけ。
そして奥底に悲しみを抱えている。

ただひとつ、心地よい場所がある。
夫の手のあるコートの中。
そこだけが暖かい。
私だけの小さな隠れ家。
それだけが暖かい。

posted by 野々花 at 15:00 | Comment(11) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ応援してくださる方クリックお願いします
にほんブログ村

2009年01月19日

大人になること

大人になるのが遅かったように思う。
30歳まで夢をみていた。
可能性という言葉に期待膨らませ
どこまで高く飛べるだろうと空を飛んだ。
生きて、知らずと羽ばたいていた。病魔をかかえつつ。

生きるために働く現在。
将来や未来は、生きる現在の次の日でしかない。
未知でもいけない。
既知でもない。
働くために生きるのか、生きるために働くのか
天秤はいつも揺れて、明日への不安を募らせる。

大人はつまらないか?
未来のフィールドは日一日と縮小へ向かう。
たくさんの制約を背負い、責任を背負い、
夢ではなく、その日を生きる。
夢を見たいか?
そりゃ、見たいさ。
それじゃあ目をつむるがいい。
頭の中で創り出すんだ。
すべては逆境から生まれるじゃないか。

posted by 野々花 at 16:28 | Comment(4) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ応援してくださる方クリックお願いします
にほんブログ村

2009年01月18日

美容

化粧品メーカーに勤める義姉に会いに行った。
デパートの一階。
接客中の彼女は忙しそうだった。
私は化粧水がなくなったので彼女のブランドに切り替えようと
思い切って高価な化粧液を求めた。
きめの細かい肌をつくるためには、云々・・・
基礎化粧からチークまで何種類塗ってもらったかわからない。
鏡の前に見違える自分がいた。

お肌のお手入れなどにこだわり始めたのは人生で初めて。
初めて化粧をしたのも、二年前の結婚式。30歳の時だ。
精神を患っている私はそれどどころではなかった。それまでは
服も化粧も、何一つ自分で選び身に着けることができず
ただ荒廃した相貌のまま、病者の姿をあらわにしていた。

身なりは大事だ。特に精神病を病む者には。
たとえ外へ出て人に会う機会を得られなくとも
病んでいるときほど美容に努めたい。
この精神病は人間の威厳を底までおとしめる力がある。だから
ぎりぎりのところで人間たることをやめない努力が必要なのだ。
人間たる相貌。
少しの努力が人間の威厳を取り戻すこともある。

posted by 野々花 at 09:04 | Comment(2) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ応援してくださる方クリックお願いします
にほんブログ村

2009年01月17日

野の花のように

ひとはなぜ苦しむのでしょう・・・・・
ほんとうは
野の花のように
わたしたちも生きられるのです

柳澤桂子『生きて死ぬ智慧』(小学館)より抜粋

著者はこの言葉の意味を『いのちの日記』の中で解説している。

私たちは物事をひとつひとつ認識するとき、自己、非自己という二元的な見方をする。思考は常に言語で行われるものであるから、知らず知らずのうちに人は対象物としてしか物事を認識していない。著者はこれを「リアリティーの喪失」と言い表している。そして、自分と対象物を分け隔てない一元的な世界に戻ることによって、本来あるべき世界を認識し、「リアリティーを取り戻す」ことができる。こう著者は説いている。

「野の花のように」という表現は新約聖書を思わせるが、おしなべて、どの原始宗教も一元的世界への回帰を論じているように思う。自己を強烈に主張しなければ生きられない現代社会は、対象物への距離をますます大きくさせる。分裂した自己と非自己の再統合は容易でない。ただ、私としては、ことばにならない体験はそこここに転がっていて、とくに芸術へ触れる際などは、いやおうなしに未分化の体験をしていると思う。
未分化の体験。
野の花のようにただそこに在り、感じ入る世界はとてもシンプルだ。
シンプルであること。
難しい課題であるが、あまりに複雑化した今日に生きる私たちが、日々大切にしたい生のあり方である。

posted by 野々花 at 10:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ応援してくださる方クリックお願いします
にほんブログ村

2009年01月15日

夫婦の関係

結婚は蓋を開けてみなければ分からない。
これは真なりと思う。
二人がどんなすばらしい人物であっても
結婚は組み合わせであり寄り添いであるから
パズルのピースがぴたりとはまらければ上手くいかない。
そして伴侶となることによって二人の関係は変化する。
関係性の変化に満足できるならいい。
しかしこれは奇跡とも言うべき偶然の要素を持っている。
二人の人間が夫婦という他の何物でもない関係になるとき、
そしてその独特の関係を発展させてゆくとき
何が起ころう?
だれも予想していなかった二人の側面がむき出しになるか
思わぬ人格の成長を見るか
はたまた甘い恋人時代の終焉にしか映らなくなるか
それは誰にもわからない。
ただ、関係性によってそれぞれが変化してゆくことも事実だ。
人間は面白い。
男と女は面白い。
良くも悪くも相手次第でどんな人間にでもなる。
夫婦という関係がきっと世の中で一番味がある。

posted by 野々花 at 19:27 | Comment(2) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ応援してくださる方クリックお願いします
にほんブログ村

収束

満たされていると思う。
何もかも、不自由なく暮らしていると思える。
病気を忘れそうなくらい。
身の丈にあったこの暮らしが私を幸福にする。
もう大きく世界へ羽ばたくことはできないけれど
そういう時代があったことも事実で
大きな世界があることを知って
今の小さな営みがある。
これは有意だ。
どんなに世界が広いかを見た十年前。
矮小な自分をそのなかに埋めて精一杯息を吸い込んだ。
そして負傷した兵士のように道をたどたどしく歩いた。
今は
肌のつやめきを取り戻し、精神の安定を取り戻し
小さく平穏無事の生活が息づいている。
何かが収束するように小さな足元へ回帰する。
それが幸福という名のゴールなのかもしれない。
まだ道は続けども。
それでいい。
本心からそう思う。

posted by 野々花 at 18:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ応援してくださる方クリックお願いします
にほんブログ村

2009年01月14日

リルケとエンデ

「もしあなたが書くことを止められたら、死ななければならないかどうか、自分自身に告白してください。」

リルケのことばである。
自分が詩人たるか否かを尋ねた若者に対する彼の答え。
文学なんぞに興味を示さなかった18歳の少女を、リルケは稲妻のごとく打った。
リルケをくまなく読んだ。遠い青春時代。
ある発見をした。
『マルテの手記』の一節に、時間銀行の黒服の男たちがやってきて、マルテに時間の貯金をせまる場面がある。ごく短い記述であるが、ミヒャエル・エンデの『モモ』に出てくる「灰色の男たち」のモチーフになったことは間違いない。
18歳は嬉々として、自分だけ(と思っている)の秘密を大事に心にしまいこんだ。

時は流れ、もうあのときの感動をもって作品に触れることはない。
文字がさほど読めない。けれど、あの青春時代の数々の感動を、書き留めておこうと思ったのだ。
今が不在だからか?今が空だからか?
過去を描いて何になるだろう。
決して過去へ回帰しているわけではない。
きちんと今を生きていると言い切れないのかもしれない。
壊れた脳のために。

posted by 野々花 at 13:25 | Comment(4) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ応援してくださる方クリックお願いします
にほんブログ村

2009年01月13日

失われた何か

昨年、統合失調症が再燃して以来、私の頭から何かが消えた。
短期記憶の障害、長期記憶の障害、そして
何であろう。空虚という言葉がふさわしい。頭が空っぽなのだ。

早発性痴呆―
かつてそう呼ばれたこの病気の名前が頭をよぎる。
思考が停止する。空が満ちている。そして

失われた何かをぽかんとした頭で探している。

自由であった頃、それは身体ではなく頭の中の自由であるが、
私は哲学、言語学、文学、政治学、あらゆる分野に熱を燃やし
本を読み漁り、目をきらきらにして鉛筆で線を引いていた。
自由であった10年前の発病から今まで、
私の頭の中の世界は、徐々に狭められ、狭められ、
多くを失い、より細い道を行くようになった。そして
その道がときどき塞がれると、私は空になるのだ。
空とは仏教の無の境地のようで聞こえがいい。だが
私の狭められた世界は、私を貧困にした。
頭の中で貧困が進む。
枯れた井戸の水のように、枯渇してゆく。

世界がどれほど広かったのか、思い出せない。

posted by 野々花 at 10:08 | Comment(3) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ応援してくださる方クリックお願いします
にほんブログ村

2009年01月12日

詩の分析

言葉は発せられたときにはじめて意味を帯びる。
言葉は語を組み合わせ、連なりながら意味を生産してゆく。

意味はいかにして生まれるのか。
意味創出のメカニズムを、意味生成の現場を捉えたい。
如何にして?
それがことばの学問の、一つの大きな役割である。

詩は、新たな意味生成の現場をとらえる格好の機会である。
意味の創出をもくろむことに詩の最大の特徴があるからだ。
小説でもない、エッセイでもない。
短い言葉の組み合わせの中に凝縮された創造の現場。
私の研究者としての野望は、これをコンピュータによって
客観的に把握することである。
難解極まりない現代詩を目の前にして、
主観的な意味把握がこれほど難しい現場を目の前にして、
私は客観性にこだわっている。

何故そのように言語を追求するのか?
言葉の創出とは、世界の創造に他ならないからだ。 
私の野望。
一生かけて、ゆっくりとやってゆく。

posted by 野々花 at 09:11 | Comment(8) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ応援してくださる方クリックお願いします
にほんブログ村
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。