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2010年03月31日

寂寥

異常なまでの寂しさを感じることがある。
おそらく病的な。
震えるような、まるで振動が床を伝い部屋中が揺れるほどの寂しさ。
ひとりになることへの不安と恐れが私を震撼させる。
病気になれば誰でも寂しくなるものだ。
しかし、この異様なまでの感覚は何だろう。
孤独とも違う。
一匹の怯えたウサギのような、この非力な者の気持ちをいったいどうやって処理すればいいのだろうかと考えるこの頃。
おそらく病状と関係があるのだろう。
私の今の最重要課題である。

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2010年03月29日

明日など見えず

私たちは、靄の中。
こころ病み、童子のように振舞う私を
あなたはひとりで受け入れる。
私の頭を撫でるあなたの指、
その細い指先で私のご飯がまかなわれているなんて。

激突するようにパソコンのキーを打ち
一心に職業に向かうあなた。
だが頼むものがいつ壊れるかなど
誰にもわかりはしない。
ふたり固くこころを結んでいるけれど。

私たちは、靄の中。
明日など見えず、
ただ今日一日、食べられていることに感謝して、
生きる。

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2010年03月28日

外国語の習得

書店で英語のテキストを買ってきた。
ドイツ語ばかり専門に10年以上やってきたが、その間に英語を忘れかけていたので取りかえそうと勉強。
外国語の勉強は、なんと言っても文法をもとに作文すること。それにつきる。文章を作れれば話す、書く、読むことができる。会話もしかり。
自分で発音して耳で覚えることも大事だが、なにより文法をしっかり身につけることが基本。
耳だけでフレーズを覚えてもすぐわすれてしまう。語彙はひたすら暗記するしかないが、ラテン語をやっておけば、語源で覚えることも可能なので尚良い。

これらのことはどの言語の習得にもいえる。そして言語は英語の次はドイツ語、というのではなく、複数の言語を一生かけて並行して学ぶものである。母国語もまた。

みなさんも外国語の習得をされるときの参考になればと思います。
かつての言語研究者より。

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2010年03月27日

詩のリズム

詩が天から降ってきた。
どうやら周期があるらしい。詩を書けるときとそうでないときの。
休日の今日は夫が横にいる。
普段ひとりで床に臥しているときと違って、会話をしたり脳に刺激を与えることで何かが生まれるきっかけができるのかもしれない。

最近、詩のリズムをよく感じるようになってきた。単に音の数ではなくて、もっと抽象的な意味で、鼓動する詩のリズムのようなものを意識する。まだまだだけれど。

書くことで救われる。
そして乗り越えられる。
書くことの喜びを味わっている。楽しい。

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2010年03月26日

忍耐

(芸術家であること)そこには時間で量るということは成り立ちません。年月は何の意味をも持ちません。そして十年も無に等しいのです。およそ芸術家であることは、計算したり数えたりしないということです。その樹液の流れを無理に追い立てることなく、春の嵐に悠々と立って、そのあとに夏がくるかどうかなどという危惧をいだくことのない樹木のように成熟すること。結局夏は来るのです。だが夏は、永遠の憂えもなく、静かにひろびろと眼前に横たわっているかのように待つ辛抱強い者にのみくるのです。私はこれを日ごとに学んでいます。苦痛のもとに学んでいます、そしてそれに感謝しています。忍耐こそすべてです。

(リルケ『若き詩人への手紙』新潮文庫より)

創造力が豊かでないときには、いくら書いてもだめだ。焦ってもだめだ。リルケのようにただ待つことを辛抱強く学ぶのだ。

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2010年03月25日

書けない。

だめだ、書けない。
詩もブログのエッセイも何も浮かんでこない。

書くこと、それは私の「仕事」。
仕事ができていない。
そんな日もあると言われるかもしれないが最近ずっとそうなのだ。
人は満たされているとき、何も生み出さないものなのかもしれない。創造的な仕事は、何かに飢えているときにしか行われないものなのかもしれない。
私は満たされているのだろうか。
苦しんで、病に臥している日々の中、満たされることを覚えたのだろうか。
書かずに生きられるならそんな幸せなことはないと思っていた。
なのに書けずに苦しむということは、いったいどういうことだろう。

何かが欠けている。それは何だろう。

posted by 野々花 at 11:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2010年03月23日

『若き詩人への手紙』

懐かしい本を引っ張り出してきた。
大学生の頃夢中になったリルケの『若き詩人への手紙』だ。
下線や傍点がふってある。夢中になった痕跡だ。

「自らのうちにお入りなさい。あなたが書かずにいられない根拠を深く探ってください。(・・・)もしあなたが書くことを止められたら、死ななければならないかどうか、自分自身に告白してください。(・・・)もしこの答えが肯定的であるならば、生涯をこの必然に従って打ちたててください」

「必然から生まれるときに、芸術作品はよいのです。こういう起源のあり方の中にこそ作品に対する判断はあるのであって、それ以外の判断は存在しないのです」

「自己の世界への沈潜から詩の幾行かが立ち現れてくる時、その時あなたはもはやそれがよい詩であるかどうかを誰かに尋ねようなどとお考えにならないでしょう」

(リルケ『若き詩人への手紙』、新潮文庫より)

ともすれば人の評価をばかり仰ぎがちな書き手には身につまされることばである。今の自分に当てて書かれたことばとして、いつもこころに留めてようと思う。

懐かしいな、リルケ。全集を読みあさったものです。大学一年生の頃。独文科に入ったのもリルケの『マルテの手記』が好きだったから。文学少女でも何でもなかった私が、雷に打たれたような体験をした本だ。

人生の転機となった一冊。詩を書く今、座右の書になっている。

posted by 野々花 at 18:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2010年03月20日

社会って?

社会の中で生きられないと地団駄を踏んだ。
早朝、休日出勤に行く夫が尋ねる。
社会って何?
仕事をすること
休日に出かけること
後は・・・?

いってらっしゃい

ドアがパタンと閉まる。
私はひとり床につき社会の意味を考える。
人のつながり―
漠然とそう思う。一度も「社会人」として働いたことがないけれど
結局はどこも社会の一断面なのだと。

ただひとり家にこもって病に臥していること。
これだけは寂しい。人とつながってはじめて
ひとは生きるのだから。

posted by 野々花 at 11:48 | Comment(8) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2010年03月19日

失われてゆくもの

気化してゆくように
私を形作っていたものたちが失われてゆく
身につけた知識も
技能も
眠りこけて過ぎる日々に
みんな忘れてゆく

いよいよ何者でもない人間になる
見たこともない私が姿を現す
それでもよいのだと肯定してくれる
ただひとりの人間がいればそれでいい

だが無念だ
使わなければ朽ちてゆくだけの
人生をかけて培ったいくつもの宝物が
目の前で崩れてゆくのをみるのは・・・

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2010年03月17日

「身体」の限界と可能性

頭がザワザワする。
まるで脳の中で無数の粒子が振動しているかのような感覚。
リスパダールの頓服薬がよく効く。
朝から横になってばかりいる。

この病気の陰性症状が前面に出るようになって以来、
自分の身体の限界を目の当たりにしている。
限界というものを、かくも軽々と知ってしまう哀しさ。 
挑戦して挑戦して自分の限界を超えるような活動は
私に関して言えばもうできない。
もう、というのは、過去にはそういう経験もあったということだが。

私は「身体」と言った。
この病む人間を表すのに「身体」ということばがふさわしいように思うのだ。
私は哲学における「肉体と精神」の統合物でもなく、医学における「脳」でもない。医学的、心理学的、哲学的概念を分離することなく、すんなりと受け入れられる全体としての「私」。意志も思考も感情も感覚も、この身体が担っている。精神神経科に分類される統合失調症になって以来ずっと考えてきた結果、私の中で「身体」という概念が少しずつ形成されている。

何もかも諦めたのではない。
今はかろうじて創作のうちに「可能性」が秘められているのを感じている。限られた身体という囲いのなかで小さな可能性をいくつも育むこと。それが救いだ。

posted by 野々花 at 15:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2010年03月14日

文字を読む

文字を読むことが難しいという、かなり致命的な障害を負って久しい。
ワーキングメモリが障害されているため、とくに長文は苦手だ。
文字を追っても頭に入らないあるいはすぐ忘れてしまう。集中力も続かない。

この障害をどうやって乗り越えてきたか。
私は学問をやっていた人間だが、読書量の面では他の研究者とは比べものにならないほど少ないはずだ。イコール知識量の差。
それでも知の探求をするために工夫をしてきた。
研究対象を比較的短文の詩にしたこと。
文献は隅から隅まで読むのではなく、斜め読みあるいは要領のよいピンポイント読みの訓練をしたこと。
時間をかけて取り組んだこと。
なかでも「ピンポイント読み」は私をずいぶん助けてくれた。
(もっともこの種の読みがそぐわないテクストもあるが)

そして今、研究を断念し、読む側から書く側つまり詩の作者に転向した。これも障害をもつ私ができる数少ない工夫のひとつだ。
読むことは苦手でも書くことはできる。そして考えることができる。

何事もそうだが、工夫次第で障害は何とでもかわせると思う。
道は険しくとも「工夫」が新たな道を切り開く、と。

posted by 野々花 at 18:41 | Comment(9) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2010年03月13日

アフンルパル通信

今日、札幌にある書肆吉成という古本屋さんを訪ねた。
詩を書かせてもらう場所を求めていたら、この古本屋さんが発行している『アフンルパル通信』という会報を紹介してもらったからだ。
所狭しと本が置いてあった。残念ながら店主である吉成氏は不在だったので、出たばかりの『アフンルパル通信』の9号を買って帰った。
『アフンルパル通信』は内容がすごく面白かった。とりわけアイヌの小川基氏の自伝的なエッセイ、宇波彰氏のカミュに関するエッセイ、文月悠光氏の連載詩「私たち密生する」が印象的だった。

文月悠光氏は「私」というものを他者との関係のなかでを追及する。何度読んでもわからないところはたくさんあるけれど、高校生らしい、この年代に特有な問題意識、自我の確立の追求がほほえましかった。と同時に、高校生らしからぬ完成された詩人としてのスタイルに驚嘆した。

たった23ページの会報であるが、内容が濃くて、しかも読みやすい。面白い冊子に出会った。札幌発。定価500円なり。

posted by 野々花 at 19:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2010年03月12日

結婚記念日

結婚記念日が近づいている。
まだ3周年、されど3周年。
夫婦もすっかり落ちついた。
家庭を作るという目に見えない作業。
振り返れば着々と築いた城が見える。
まったく違う文化で育った人間同士が、一つ屋根の下で歩み寄り、すり合わせを行い、新たに独自の文化を築いていくのは容易なことではない。共生は高度なテクニックが求められる。その意味で、結婚はきっとものすごく知的な作業なのだと思う。
いろいろあって、3年が経った。
その頑張りにささやかなお祝いをしよう。

posted by 野々花 at 14:48 | Comment(6) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2010年03月10日

体調不良

体調不良の最近。
自分が一生のうちで一番長くいる場所はベッドである事実に愕然とする。
ひとり日中から床に就き、頓服を飲みながらやり過ごす時間は何の足しになるのだろう。
脳が疲労している。人間の中心である脳、神経、精神、心・・・どの言葉でもよいがその中心が病に冒されている。人生において決定的なダメージだ。考えるという、人間足るための構造が壊れているのだから。思考することにエネルギーを注げないなら、半分人間をやめたようなものだ。そういっても過言ではない。悲観的過ぎるだろうか。統合失調症による障害は計り知れない。

posted by 野々花 at 20:07 | Comment(4) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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ツイッター

最近ツイッターを始めた。
最初は何だこれと思っていたが
思いがけぬ出逢いがあったり、
直接話せっこないような人のつぶやきが聞こえてきたりして
正直面白い。はまるかもしれない。
ある詩人の方は私の論文をネットで読んでくれて
それがきっかけでちょっとした交流をもつことができた。
情報が錯綜する世の中で上手く使えば面白い手段。
いずれにせよ、情報の波に翻弄されず、自分の目で玉石混交の情報を見極めること、それが求められますね。

posted by 野々花 at 14:28 | Comment(4) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2010年03月09日

革命の渦中で

IT技術者の夫の仕事ぶり、労働環境を見ていると、我々が産業革命(情報革命)の只中にいることを肌で感じることがままある。

小林多喜二の『蟹工船』を読めば、歴史は繰り返すことを再認識する。革命的な産業の発展には、それを担い、そのために倒れる者がつきものだ。水夫たちは決起するが、潮流を変えるだけの力はない。
夫は革命のさなかにいること、当事者であることは避けられない。
でも犠牲者になってはならない。それは何の名誉でもない。
それではどうするか。
おめおめと歴史の犠牲者になるのか。
愛すべき夫を守らねばならぬ。
うまく橋を渡って、するりと生き延びる術を身に着けなければ。

posted by 野々花 at 15:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2010年03月08日

ユーモアについて

最近のテーマ。
病気や孤独を抱えた自分を笑い飛ばすこと。
悲しみも寂しさもユーモアをもって表現する。
それができたら自分を乗り越えられる、そんな気がする。

ユーモアは人間が生き延びるために与えられた高度な技能だと思います。
ユーモラスに物事を捉えるって余裕がないとできませんよね。
追い詰められた状況のなかで自分を滑稽化することで
人間は救われるのだと感じています。

救いとしてのユーモアを追求してみようと思います。

posted by 野々花 at 13:13 | Comment(4) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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2010年03月07日

無念の思い

昨日、久しぶりに泣きました。
夫が自宅で仕事をしているのを見て、
「自分にも能力があったのに」と。
怒涛のように忙しかったけれどキラキラ輝いていた気がした。
今はキラキラと引き換えに安穏とした生活を手に入れた。療養するにふさわしい環境が作れたし、そのおかげで症状も安定。
けれどふとしたときに、思い出してしまうんだ。

もう一度120%の力を出して、キラキラ輝きたい―

でも現実の生活は一歩一歩なんですよね。
朝起きて、ご飯を作って掃除をして安静を保ち・・
そしてそれで幸せなのにね。

病気で果たせなかった思いは、時々こうして吹き出てくる。
まあ、そのときはまた泣けばいいか。

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2010年03月06日

天涯の孤独

どうやら孤独というものと
生涯を共にしなくてはならないらしい。
愛する夫がいても
愛する家族がいても
誰が傍らに寄り添っていても
孤独は私の後をつけてくる。
病気が孤独を運んでくるのではない。
きっとそういう運命なのだ。

この運命に慣れること。
そしていづれやってくるひとりきりの人生のために
必要なことはわかっている。

だがこの道のりは険しい。

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2010年03月05日

春よ来い

今日も雪が降った。
雪かきをした。
春の足音はまだ聞こえない。
ジャガイモの花やすみれや
イチゴの実がなる季節が懐かしい。
生き物が眠る雪の下。
土はまだ見えない。
いのちはきっと今か今かと
芽吹く仕度をしているだろう。
白く広がる雪原は魂の眠る墓地に似ている。
静かで寝息すら聞こえてきそうな―

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